nihoonshibenkyouの日記

 私大の日本史で点数がとれない。そんな受験生に、ストーリーで学ぶ勉強法をお教えします!

奈良時代の政治の流れは○○でマスターできる!

こんにちは!マロです!

 

本サイトでは、

奈良時代の政治の流れ」

について解説します!

 

さっそくですが、

みなさんは、

奈良時代の政治の流れを

説明できていますか?

 

 

「藤原の不比等?」

長屋王?」

「よくわからない」

「そもそも、奈良時代っていつ?」

 

そんな人いませんか?

ここは試験でよく出題されます!

なので、ぼんやりとした理解では、

確実に点を落とすポイントになってしまいます。

 

 

試験によく出題される。

けど、難しいから、押さえられない。

こんなの、もったえなくないですか?

 

試験に出題されるとわかっているのであれば、

たとえどんなに押さえにくくても、

確実に押さえ、点を取りに行くべきです!

 

逆に、ここを確実に点を取れるポイントにすると、

受験に合格する確率が高まります!

たとえ、配点は5点10点ぐらいだとしても、

その5点10点が合格を左右するからです!

 

 

もちろん、

ここだけ勉強すればいいわけではありません。

それでも、日本史の試験には出やすいポイントがあります。

 

そこを多く押さえ、

そこから最後に細かい部分を詰めれば、

日本史で8割以上を狙えるのです!

 

なので、この記事は、

日本史で8割以上を取るための、

大きな一歩になります!

 

では、さっそく解説していきます!

 

 

まず、奈良時代というと、

平城京に遷都してから、

長岡京に遷都するまでの期間ですね。

 

その後は、長岡京に遷都し、

平安時代を迎えます!

710年~782年の72年間が、

奈良時代にあたるのです!

 

ちなみに、余談ですが、

710年は「なんと綺麗な平城京」、

ですね!

 

日本史では、この期間を奈良時代と呼びます!

途中遷都する(都の場所をかえる)こともありましたが、

都の場所は、基本的に平城京です!

 

この時代は、律令制度が整えられた時代です!

律令制度とは、簡単に言うと、

「法律の制度」ということです!

律は刑法、令は行政法を指します。

 

なので、律令制度が整えられたということは、

犯罪を取り締まる法律と、

行政組織、租税の仕組みが規定された

ということです!

 

考えてみると、これがないと大変ですよね?

人を殺しても、明確な罰を与えられない。

税金を収集するシステムがない。

こんなことが起こるでしょう。

 

律令制度が整う前は、

どんな風な社会だったのか、

詳細は分かりませんが、

律令制度は大変重要だと言えるでしょう。

 

当時は、隋や唐に倣い、

中央集権国家を確立させていました。

都から地方へ、縦向きの支配構造で、

国家運営のシステムを確立させたということです。

 

役所を整備したり、

身分制度を確立させることで、

刑罰や税の仕組みが確立されたのです。

 

このような時代の中で、

政治面では様々な事が起こります。

政争、疫病、仏教…。

 

内容は少しややこしいですが、

きっと面白いと思います!

これこそ、ストーリーですね!

では、本題に入ります。

 

まず、この時、

天皇は、聖武孝謙淳仁⇒称徳(孝謙)と

いう順で移り変わります。

 

ただし、奈良時代の政治では、

天皇よりも天皇以外の権力者

の存在が重要です。

 

この時の、天皇以外の権力者は、

権力を握れる役職の人物か、

天皇から認められた人物を指します。

 

奈良時代の政治では、

そこを押さえることが

とても重要なのです。

 

このような奈良時代の政治は、

藤原不比等から始まります。

藤原不比等律令制度を

整えた人ですね!

 

出展:藤原不比等 (659~720)ふじわら の ふひと | 日本史に学ぶ (ameblo.jp)

 

不比等は、中臣鎌足の息子で、

下級役人からスタートしましたが、

才能を発揮し、持統太上天皇文武天皇

重用されるようになります。

 

その結果、不比等

大宝律令を完成させ、

その後は、娘の宮子を文武天皇と結婚させ、

外戚(母方の親戚)として、権力を握ります。

 

これは要するに、不比等が、

嫁さんの父さんとして、

権力を握ったということですね。

これは、完全なる政略結婚です。

 

したたかですね(笑)

ちなみに、藤原氏が政界に進出すると、

大伴氏や佐伯氏などの他の人の勢力は

後退していきました。

 

つまり、政略結婚させたときには、

もう無敵でした。

ここから、藤原一族が権力を

握る時代が長く続きます。

 

その後、文武天皇と宮子の間に

聖武天皇が生まれます。

不比等はさらに、聖武天皇

娘の光明子を嫁がせます。

 

これは、つまり、

孫である、聖武に、

宮子の姉妹を嫁がせた

ということです。

 

サザエさんで言うと、波平が

マスオにサザエを、

たらちゃんにわかめを

嫁がせるようなものです。

 

今の時代なら、

ドン引きですね(笑)

ただ、皇族の世界では、

こういうこともできたようです。

 

こうして、天皇家と密接な

関係を築いた不比等ですが、

死にます。

 

その後は、長屋王という人物が、

権力を握ります。

長屋王

なんか、絶対金持ちか何かですね(笑)

 

出展:古代人が恐れた「長屋王」の「祟り」と「疫病」 国際人のための日本古代史() | デイリー新潮 (dailyshincho.jp)

 

長屋王天武天皇の孫で、

皇族家の人物です。

それでも、天皇ではなく、

右大臣でした。

 

ただ、長屋王光明子が皇后になることに

反対し、藤原4兄弟によって自殺させられます。

当時、律令の規定では、

皇后は皇族でなくてはなりませんでした。

 

藤原4兄弟は、

房前(北家)、武智麻呂(南家)、宇合(式家)、麻呂(京家)

といった感じです。

これも試験によくでるので、押さえてください。

 

出展:藤原四家_百度百科 (baidu.com)

 

藤原不比等には男子4兄弟を子どもに持ち、

その子どもが権力を握りました。

ただし、この4兄弟は、

天然痘で相次いで死亡します。

 

長屋王の呪いかもしれません(笑)

ちなみに、天然痘は今は撲滅されましたね。

ただ、当時は、恐ろしい病の一つでした。

 

出展:日本の医学史 (nico-wisdom.com)

 

天然痘は、

帰国した遣唐使によって、

唐から持ち込まれたのだと

推測されています。

 

藤原4兄弟が死んだあとは、

橘諸兄が政権を握ります。

橘諸兄は皇族出身の人間です。

 

出展:橘諸兄 - Tachibana no Moroe - JapaneseClass.jp

 

この時、天然痘によって、

政権の高官が次々と亡くなりました。

そこで、聖武天皇は生き残っていた橘諸兄

左大臣に抜擢します。

 

生き残っていたから、

理由はそれだけではないと思いますが、

それが理由というのはヤバいですね(笑)

 

橘諸兄は、唐から帰国した遣唐使

玄昉と吉備真備を政治に登用します。

しかし、この2人の登用に反対し、

九州で大規模な反乱を起こした人物がいます。

 

それが、藤原広嗣です。

藤原広嗣は宇合(式家)の息子です。

この時、藤原家の地位は低下しており、

広嗣は大宰府に左遷されていました。

 

広嗣は、左遷され、

不満を持たないわけがありません。

天然痘流行は遣唐使のせいだ」

と主張し、反乱を起こします。

 

しかし、すぐに鎮圧されてしまいます。

ここまでの流れで大切なのは、

天然痘による影響が大きかった

ということですね。

 

そして、この乱や天然痘の流行に

動揺してしまった聖武天皇は、

恭仁京難波宮信楽宮平城京

の順に遷都します。

 

出展: 

 

この3つの都は

それぞれ京都、大阪、滋賀なので、

京都⇒大阪⇒滋賀の順に

遷都したイメージです。

 

これは聖武天皇の迷走なのですが、

橘諸兄はその間に政治を整えます。

代表的なのは、墾田永年私財法ですね。

 

ただ、聖武天皇鎮護国家の思想に基づき、

大仏や寺を造ります。

仏教を盛んにすれば国家は安定する。

聖武天皇はそう考えたのです。

 

出展:[B!] なぜ大仏造立の詔は出された?簡単にわかりやすく徹底解説!【聖武天皇の仏教信仰の物語】 (hatena.ne.jp)

 

その後は、藤原仲麻呂

光明皇太后と協力して

政界で勢力を伸ばします。

藤原家の勢いが戻りました。

 

 

それでも、橘奈良麻呂

仲麻呂を滅ぼそうとしますが、

逆に滅ぼされます。

奈良麻呂は諸兄の子です。

 

なんか、橘と藤原は仲悪いですね。

勝った仲麻呂は、淳仁天皇を即位させ、

恵美押勝の名を賜ります。

 

しかし、後ろ盾の光明皇太后が亡くなると、

孤立を深めます。

そして、この時、

面白いことが起こっていました。

 

孝謙上皇が自分の看病をしてくれた僧の

道鏡を寵愛して、淳仁天皇と対立します。

そして、孝謙は先に淳仁側の恵美押勝を滅ぼし、

もう一回天皇になったのです。

 

出展:密告と殺戮!奈良時代、それは血で血を洗う争乱が続いた時代だった。【後編】 | 歴史・文化 - Japaaan

 

これは、要するに、

孝謙というおばさんかおばあさんの天皇が、

道鏡という僧を溺愛し、

権力を与えようとしたということですね、

 

道鏡に恋してたのでしょうか?

分かりませんが、政治に影響させると

ヤバいですね(笑)

 

道鏡称徳天皇(孝謙)の支持を得て、

最終的に法王になり、

仏教政治を行います。

 

そして、称徳天皇は、

道鏡に政権を譲ろうとします。

しかし、宇佐八幡宮和気清麻呂

信託により、それはかないません。

 

和気清麻呂は神の真意を伝える使い

になったのですが、

逆の真意報告をして、

称徳を挫折させました。

 

そして、称徳が崩御し、

最後は藤原百川らが

光仁天皇を即位させ、

道鏡は左遷され、終わります。

 

ここまでの流れが

奈良時代の政治です。

長くなりましたが、

途中で切ることは出来ませんでした。

 

ここまでは一連の流れで覚えましょう。

簡単にまとめると、

 

藤原不比等の政略結婚、天然痘の影響、

道鏡をめぐる出来事のおおよそ3つですね。

ちなみに、奈良時代の間、

藤原家とそれ以外の人が交互に力を持ちます。

 

ここまで権力を持った人をまとめると、

以下のようになります。

藤原不比等長屋王⇒藤原4兄弟

橘諸兄藤原仲麻呂道鏡

 

とはいえ、まとめるのにも

限界があります。

ここはそこそこややこしいところなので、

しっかり勉強してください!

 

しっかり勉強することで定着します。

けど、どうやって復習すればいいの?

そう思った人が多いと思います。

勉強する手順としては、3つあります。

 

①この記事を読み直す

 

②大事なところをノートに書き、

 情報を整理する

 

③教科書などを読み、用語や

 補足情報を確認し、内容を深める。

 

特に③は大切です。

なぜなら、

ここでは簡単に説明するために

多少内容などを省いているからです。

 

省いている箇所が試験に出た場合、

せっかく勉強した意味がなくなります。

まずは①②をしっかり行い、

③もきっちりさせましょう!

 

とはいえ、いきなり①②③の全てを行うのは、

難しいはずです。

そのため、まずは、①この記事を読み直す

の部分をしっかり行いましょう!

 

この記事を読み直すと、他の教材を使うより、

簡単に内容を理解できます。

その結果、苦しんで暗記する必要がなくなり、

最終的には試験で点を取ることができます!

 

まずは①を実行し、

最終的に日本史の試験で

8割以上を取れるようにしましょう!

 

最期まで読んでいただき、ありがとうございました。