nihoonshibenkyouの日記

 私大の日本史で点数がとれない。そんな受験生に、ストーリーで学ぶ勉強法をお教えします!

江戸時代初期のヨーロッパとの外交は○○でマスターできる!

こんにちは!マロです!

 

さっそくですが、

「江戸時代初期の

ヨーロッパとの交易」

を説明することは出来ますか?

 

江戸時代初期のヨーロッパの交易は、

幕府が禁教令を出す前のことを

指します。

 

「日本が交易を結んだのはオランダだけ

でしょ?」

「他の国もいたけど、他の国は日本から

追い出されて終ったよね」

そんな風に思っていませんか?

 

江戸時代は鎖国のイメージが大変

強いです。

そのため、ここは見落としがちです。

 

実際は、スペインやポルトガルとの

関わりがあり、そこもちゃんと

内容があります。

 

内容がないと勘違いしたり、

おまけ程度に思っている。

あるいは、ちゃんと内容を理解できて

いないのは、かなり危険です。

 

なぜなら、ここも受験で出題される

可能性があるからです。

 

基本的に、日本史の受験では、

戦時中やそれ付近、戦後以外であれば、

基本的にどこでもがっつし出る可能性があります。

 

戦時中や戦後史ですら、1問2問出る可能性

があるのですから、

ここは出る可能性も十分にあるでしょう。

 

というより、基本的に、江戸時代は出やすいので、

ここが出る可能性も十分にあり得ます。

決していい加減にしてはいけません。

 

もし、ここをいい加減にすると、

ここの部分で点が取れず、

受験に落ちてしまいます。

そんなの嫌ですよね?

 

 

けど、もし、この記事を読み、

勉強すれば、

確実に点を取ることができ、

受検に合格することができます。

 

 

というわけで、

さっそく解説していきます。

 

 

鎖国というと、

国を閉ざすイメージがあるかもしれませんが、

江戸時代はずっと海外と国交がありました。

 

ただ、幕府はキリスト教を禁止したかったので、

最終的に、ヨーロッパの中で

国交を持つ国はオランダに限りました。

 

出展:【オランダ国旗の意味と由来】昔はオレンジ色だったって知ってた? | traveloglog (tabino-oboegaki.com)

 

オランダに限定した理由は簡単で、

オランダはキリスト教の布教と、

貿易が別だったからです。

 

オランダというより、

イギリスとオランダです。

この2つの国は、キリスト教の布教

と貿易が別でした。

 

これはつまり、貿易するからといって、

日本での布教活動を許可しなければ

いけないということではありません。

 

日本が「貿易しましょう、でも、キリスト教

布教は禁止です」と言っても、

イギリスとオランダは日本と貿易

してくれたのです。

 

ちなみに、余談ですが、

イギリス人やオランダ人を

当時の日本人は「紅毛人」と

呼びました。

 

出展:紅毛人巡見之図 OLIFANT uurwerk 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)

 

一方で、スペインやポルトガル

は貿易とキリスト教布教がセットでした。

キリスト教の布教を認めなければ、

貿易はしないということですね。

 

このスペイン人やポルトガル人のことを

南蛮人」と呼びました。

つまり、「南蛮貿易」は

スペイン人、ポルトガル人との貿易ですね。

 

イギリスとオランダはプロテスタントの国で、

スペインとポルトガルカトリックの国だったので、

宗派の違いが、布教に関する考得方の違いを生んだの

でしょう。

これは余談です(笑)

 

南蛮貿易は、戦国時代に始まりました。

織田信長キリスト教を擁護したのですが、

豊臣秀吉は過激なやり方でキリスト教

布教を禁止します。

 

具体的には、長崎での宣教師、信者の

処刑ですね。

かなり過激です。

 

それでも、ポルトガルの貿易は続きます。

一方で、イギリス人やオランダ人といった

紅毛人は、南蛮人より遅れ、

江戸時代初期の頃に、日本にやってきます。

 

なので、登場するヨーロッパの国は、

スペイン、ポルトガル、イギリス、

オランダの4カ国ですね。

 

最終的には、幕府の禁教体制が徹底されていき、

3代将軍家光の時には、鎖国体制に

なりました。

 

鎖国体制になった流れにも詳しく触れたい

ところですが、

それだと情報過多になるため、

今回は鎖国前のヨーロッパに限ります。

 

まず、もともと交易していた国は、

スペインやポルトガルですね。

いわゆる南蛮人の国です。

 

しかし、スペインとは、国交断絶していました。

その理由は、豊臣秀吉が長崎で宣教師や信者を

処刑したからです。

これは、サン=フェリペ号事件というやつですね。

 

出展:サン=フェリペ号事件 - 浦戸の歴史 - 高知市立浦戸小学校 (kochinet.ed.jp)

 

この時代、基本的にそうですが、

秀吉のせいで、いくつかの国と

関係が悪くなっています(笑)

 

いくつかと言っても、

そもそもでもともと国交があった国が

少なかったので、国としては

スペイン、朝鮮、明だけなのですが

 

それでも、影響は大きいですよね。

徳川政権は、それらの国との

国交の回復に努める必要が出てきます。

大変ですね。

 

スペインに対しては、

京都商人の田中勝介をノヴィスパンに

派遣し、通商交渉をします。

 

ちなみに、ノヴィスパンは

昔のメキシコの呼び名です。

この時、たまたまドン=ロドリゴ

という人物が日本に漂流してきていました。

 

出展:家康とドン・ロドリゴ | 出版書誌データベース (books.or.jp)

 

彼は、前ルソン総督、つまり、

フィリピンの総督でした。

田中勝介はドン=ロドリゴ

送還する際に同行し、通商交渉をします。

 

しかし、国交は回復しましたが、

通商の回復は果たせませんでした。

そこで、今度は、別の人物が

立ち上がります。

 

それが、仙台藩主の伊達政宗です。

政宗は大国スペインとつながることで、

スペインを後ろ盾にし、

討幕しようと考えていたのです。

 

伊達政宗は、家臣の支倉常長らをスペインに

派遣し、メキシコとの直接貿易を果たそうと

するのですが、失敗します。

 

なぜ失敗したのかというと、

スペイン国王、ローマ教皇

家康の禁教方針を知ったからです。

 

伊達政宗の派遣した使節団を

慶長遣欧使節と言います。

もしかすると、天正遣欧使節

ごっちゃになるかもしれません。

 

出展:13 慶長遣欧使節関係資料 | 政宗が育んだ“伊達”な文化 (datebunka.jp)

 

しかし、見分け方があります。

秀吉の朝鮮出兵の2番目は

慶長の役という名前でした。

 

この「慶長」というのは、元号です。

元号は、天皇崩御したり、

上皇になったりしたときにしか

変わりません。

 

つまり、2番目の朝鮮出兵のあたりから、

元号は変わっていないということです。

これで間違えませんね。

 

ちなみに、天正遣欧使節は、

戦国時代に3人の九州の

キリシタン大名が派遣したものです。

 

あと、注意するべきは、

田中勝介が行った場所はメキシコ、

支倉常長が行った場所はスペイン

ということです。

 

これは完全に余談ですが、

田中勝介は日本人で初めて

アメリカ大陸に行った人物

と言われています。

 

 

次にポルトガルです。

ポルトガルとは、

何のトラブルもありませんでした。

 

ひとまず安心ですね。

ポルトガルに関して押さえるべきなのは、

「糸割符制度」だけです。

 

出展:糸割符制度ってなんのこと? - 日本史用語集 (japanserve.com)

 

ただ、この「糸割符制度」は、

名前だけ覚えて内容を理解

しなくなる可能性があるので、

注意してください。

 

まず、ポルトガルは、

中国産生糸の日本への輸出を

独占していました。

 

当時、明は解禁政策を取り、

秀吉の朝鮮侵攻が原因で日本とは

国交断絶状態でした。

 

そのため、

中国産生糸はポルトガルから

購入していました。

 

ということは、つまり、

ポルトガル以外に生糸を売る

国はないということですね。

となると、何が起こるでしょう?

 

答えは簡単です。

ポルトガルが生糸を高い値段で売ってくる

ということが起こります。

 

出展:一般景品利益アップセミナー | 船井総合研究所(船井総研) パチンコ公式サイト セミナー情報 (funai777.jp)

 

他にライバルがいない。

そうなると、買ってくれるところまで

値段を上げようとします。

当然ですね。

 

これで、ポルトガルは大儲けし、

ウハウハ状態でした。

しかし、日本はそのまま大人しく

買い続けるようなことはしません。

 

ここで、対抗策として、

「糸割符制度」というのを設けます。

これは、日本の限られた商人が

生糸を一括購入する制度です。

 

始めは京都、堺、長崎の3か所の

特定の商人に糸割符仲間を作らせ、

のちに、江戸と大坂を加え、

5か所に増えました。

 

では、数か所の商人が一括購入すると、

どのようないいことがあるのでしょう?

これも簡単です。

 

もし、たくさんの商人が生糸を買うと、

高い値段でも買う商人が出てきてしまいます。

そうすると、価格交渉しても、

ポルトガルは価格を下げてくれなくなります。

 

なぜなら、高い値段で買ってくれる

商人がいるので、その商人にだけ

生糸を売ればよいからです。

 

こうなると、生糸を安く買いたいと

考える商人は生糸を買えなくなり、

最終的に、ポルトガルの付けた値段に

従わざるを得なくなります。

 

しかし、限定された商人だけが購入すると、

どうでしょう?

「私たちはこの値段でしか買いません!」

と強気で言うことができます。

 

彼等は日本を代表する商人なので、

ポルトガルは彼等との貿易を失うと、

日本というマーケットを失うことになります。

 

出展:日本地図全土イラスト(立体)-押し出し(黒) | イラスト, 日本地図, 地図 (pinterest.com)

 

これはデカいです。

糸割符制度は、限定された商人が毎年春に話し合って、

1年間の生糸の価格を決め、その価格で生糸を購入し、

それを仲間構成員に分配していました。

 

賢いやり方ですね。

ちなみに、後の5か所の商人を

「五か所商人」と呼びます。

 

 

最後は、新規参入してきた

紅毛人の2カ国についてです。

イギリスとオランダですね。

 

これは一緒に見ていきます。

日本がイギリスやオランダと

絡んだきっかけは、

リーフデ号の日本到着です。

 

出展:リーフデ号のエラスムス像: ジャカルタ新旧あれこれ (cocolog-nifty.com)

 

1600年、リーフデ号というオランダの船が、

日本の豊後(大分県)に到着しました。

1600年というのは、関ケ原の戦い

起こった年です。

 

なので、ちょうど、

これから徳川家康が力を持つようになる

時期ですね。

 

徳川家康は、

イギリス人のウイリアム=アダムズと、

オランダ人のヤン=ヨーステンを

外交顧問にします。

 

その後、オランダは1609年に、

イギリスは1613年に幕府の許可を受け、

長崎県の平戸に商館を開きました。

 

出展:【長崎】平戸でアジングをするなら・・オススメ釣りポイント2選 | ガルゾウブログ (garuzou.com)

 

しかし、利益が見込めなくなったイギリスは、

わずか10年後の1623年に商館をたたみ、

貿易から撤退します。

10年って、むちゃくちゃ短いですね(笑)

 

一方のオランダは、南蛮人の国とは違い、

鎖国体制になっても、貿易が認められます。

イギリスが去ってしまったので、

ヨーロッパの国の中では唯一です。

 

オランダは後に、出島で貿易することになり、

幕府に『オランダ風説書』を提出する義務が

課せられます。

 

これは欧州事情を報告するものなので、

幕府の重要な情報源です。

これはつまり、オランダは貿易だけでなく、

外の情報を伝えてくれる重要な存在になるのです。

 

出展:ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「出島の生活~カピタンの12ヵ月」 (nagasaki.lg.jp)

 

以上が江戸時代初期のヨーロッパとの交易に

ついてです。

まとめると、

 

①スペイン・ポルトガルは貿易と布教がセット、

イギリス・オランダは貿易と布教が別

 

②スペインとは国交が断絶していたが、

幕府が国交だけ回復させ、政宗

貿易再開させようとするが失敗

 

ポルトガルの高額での生糸販売に

対抗し、特定の商人が生糸を一括購入する

「糸割符制度」を設ける。

 

④イギリスオランダは新規参入。

平戸に商館を持ち、貿易するが、

イギリスはわずか10年で消え、

鎖国令でオランダだけが残る。

 

ということです。

これがざっくりとした今回の

内容です。

 

ここは内容が少なく、

簡単なので、この記事を読む

だけでも、十分頭に入るでしょう。

 

ですが、江戸時代で重要なのは、

やはり「鎖国」です。

他にも、アジアとの交易も

見逃してはいけません。

 

江戸時代の外交は、

交易する国が増えるので、

見逃す点が多くなります。

 

なので、この記事を読むだけで

終わらせてはいけません。

そのため、江戸時代の交易の勉強には、

3つのステップがあります。

 

①この記事を読み直し、

今回の内容の確認をする。

 

②教科書などを読み、

鎖国の流れやアジアとの交易について

勉強する

 

③そのうえで、

江戸時代の交易の受験問題を

説いてみる

 

以上の3つです。

江戸時代は鎖国しているので、

この後出てくる、漂流したロシアの船や

幕末の交易などを除くと、

外国との関わりはここだけです。

 

なので、江戸時代の交易については、

ここを押さえればある程度確実です。

ですが、この3つのステップを

一気にやるのはしんどいですよね?

 

なので、まずは、

「この記事を読み直し、

今回の内容を確認する」

ということをやってみてください!

 

最期まで読んでいただき、

ありがとうございました!