nihoonshibenkyouの日記

 私大の日本史で点数がとれない。そんな受験生に、ストーリーで学ぶ勉強法をお教えします!

古墳の変化は○○でマスターできる!

出展:大仙陵古墳とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

 

こんにちは!マロです!

 

さっそくですが、

「古墳の変化」

について説明できますか?

 

古墳時代は、前期、中期、後期の

3つの期間があり、

それぞれ古墳の特徴が異なります。

 

前方後円墳しか覚えてない」

「馬具とはなかったっけ?」

「埴輪とかあった気がする」

そんな風に思っていませんか?

 

もし、そう思っているのであれば、

かなり危険です。

なぜなら、縄文時代弥生時代

についてもよく出題されるからです。

 

なんとなく、この時代の出題は

少ないようなイメージを持ちがち

だと思います。

 

しかし、

不意打ちを突くように、

大問で出題されたりします(笑)

 

ここに関しては、史料問題など

の形式で出題されることも多いです。

ですが、内容をしっかり押さえておけば、

点を落とすことはありません。

 

しかし、もし、

ここを勉強しなかった場合、

受検に落ちます。

そんなの嫌ですよね?

 

 

けれど、もしこの記事を読み、

ここを勉強すれば、

受検に合格することができます!

 


というわけで、

さっそく解説していきます!

 

 

古墳について見ていく前に

まずは、ざっくりと

飛鳥時代前の時代区分を

見ておきましょう。

 

日本は、もとは

氷河期でした。

この期間を更新世と呼びます。

 

これは、

地質学上の呼び名で、

考古学的には旧石器時代です。

 

その後、氷河期が終わり、

暖かくなりました。

この期間を、地質学では、

完新世と呼びます。

 

この完新世は、考古学では、

新石器時代と金石併用時代が

それにあたります。

 

 

旧石器時代は、打製石器という、

石などでただ打っただけの石器を

狩りなどで使用していた時代です。

 

しかし、新石器時代は、

石器を磨き、

使用していた時代です。

 

その後、新石器時代が終わり、

弥生時代になるのですが、

弥生時代は金属器が導入されました。

 

この弥生時代が、

金石併用時代に

該当します。

 

そして、弥生時代の後、

古墳が作られるようになるのですが、

この時期を古墳時代と呼ぶのです

 

出展:大仙陵古墳とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

 

今回は、

古墳時代における

古墳の変化を見ていきます。

 

弥生時代が紀元前4世紀から

(普通の)3世紀までで、

古墳時代は3世紀中ごろからです。

 

弥生時代には、水稲農耕が開始され、

そこから身分差が生じたり、

集落が誕生したりします。

 

そして、国ができ、

戦争が起こり、最終的に

大きな国ができます。

 

それとともに、

漢(のちに隋)との外交も

行います。

 

その後、3世紀の中ごろになると、

大規模な前方後円墳を中心とする、

古墳が西日本を中心に

出現します。

 

ここからが、

今回の内容です。

 

この古墳からわかること、

というか、推測できることは、

広域の連合政権が形成されていた

ということです。

 

この連合政権のことを

ヤマト政権と言います。

 

出展:日本史|東アジアのヤマト政権 (chitonitose.com)

 

では、なぜ古墳から

連合政権があったことが

予測されるのでしょう?

 

これはかなり単純です。

まず、前方後円墳

かなりデカいです。

 

一方で、普通は円墳や

方墳が一般的で、

これらは小さいです。

 

出展:西都原古墳群の補足 - 103系が好きです (hatenablog.com)

 

他にも、

副葬品や形なども

判断材料になっています。

 

こういったことから、

前方後円墳

偉い人の墓だと考えられています。

 

そのうえで、

そのような古墳が

西日本を中心に

多数存在しています。

 

このように、

同じようなものが

たくさんあるということは、

共同体が存在したということです。

 

そして、ここまでを合わせて考えると、

偉い人が複数いる広域の共同体

=連合政権

というわけです。

 

そして、このような古墳が

造られた期間は、

主に3つにわけられます。

 

これが、

古墳時代

前期、中期、後期です。

 

前期は3世紀中頃~4世紀後半

中期は4世紀後半~5世紀、

後期は6世紀~7世紀です。

 

そして、

この3つの期間は、

それぞれ特徴があります。

 

まず、前期は

大規模な古墳はいずれも

前方後円墳です。

 

ただ、

円墳や方墳が一般的でした。

 

次に、石室は

竪穴式石室です。

これは、上から穴を掘り、

遺体を安置する方式です。

 

出展:こどもQ&A(第6回)|世界遺産 百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん) (check-xbiz.jp)

 

副葬品については、

剣や玉、鏡などです。

これは、宗教的なものでした。

 

なので、

被葬者は

司祭者的な性格とされています。

 

まあ、

これに関しては、

自然なことだと思います。

 

というのも、卑弥呼が死に、

新しい女王の壱与を立てた

時期あたりから古墳が出現しているので、

これは自然なことだと思います。

 

邪馬台国は呪術により、

国を治めました。

これは、司祭者的な性格

ですね。

 

なので、このような特徴が

続いてもおかしくないでしょう。

まあ、これは、個人的な考え

ですが(笑)

 

ところで、古墳には、

埴輪が置かれます。

前期、中期、後期、

どの時代でもです。

 

円筒埴輪が置かれます。

形象埴輪も出現しますが、

円筒埴輪が中心です。

 

出展:E0127249 円筒埴輪 - 東京国立博物館 画像検索 (tnm.jp)

 

出展:『先土器〜古墳時代ラップ』解説・問題ページ【ラップで覚える中学歴史】 (cokeio.work)

 

この円筒埴輪は、

お墓の周りに並べられるもので、

お墓の範囲を示します。

 

最後に、前期の代表的な古墳は、

奈良県にある箸墓古墳です。

これは、出現期の古墳の中では

最大の規模です。

 

箸墓古墳纏向遺跡にあり、

卑弥呼の墓ではないか

という説があります。

 

続いては、中期の古墳です。

古墳時代中期は、おおよそ

4世紀後半から5世紀です。

 

この期間は、戦争が特徴的ですね。

具体的には、倭と高句麗の戦争です。

倭は百済との同盟関係により、

高句麗と戦いました。

 

しかし、倭は高句麗に敗れてしまいます。

ちなみに、高句麗新羅救援のため、

倭と戦います。

 

高句麗好太王碑には、

391年、倭は百済新羅を占領し、

それを受けた高句麗が、

新羅救援のため、倭と戦ったようです。

 

出展:『先土器〜古墳時代ラップ』解説・問題ページ【ラップで覚える中学歴史】 (cokeio.work)

 

高句麗との合戦により、

倭に乗馬の風習が伝わります。

これにより、中期の古墳には、

馬具が置かれます。

 

また、朝鮮半島南部における

外交、軍事上の立場を優位にするため、

倭の五王は相次いで宋に使いを送ります。

 

このような時代背景を押さえたうえで、

古墳の特徴を見ていきましょう。

 

とりあえず、

順番に見ていきます。

ますは、古墳の形からです。

 

古墳時代中期の古墳は、

近畿中央部で最大規模の

前方後円墳が作られました。

 

前方後円墳は地方でも作られ、

これもかなり大規模なものでした。

具体的な場所としては、

群馬、岡山、宮崎などです。

 

このことから、

同盟、連合の拡大を意味すると

考えられています。

 

次に、中期も竪穴式石室です。

ここに関しては、

これ以上言うことがありません。

 

副葬品に関しては、

武具や馬具など戦闘用具です。

このことから、

被葬者は武人的な性格だと考えられます。

 

出展:東京国立博物館・平成館(古墳時代)[上野・国立博物館&美術館めぐり編] (joyphoto.com)

 

これは、先ほど話した内容とリンクしますね。

倭は高句麗と戦いました。

その際、乗馬の風習が入ってきます。

 

このこととリンクさせると、

納得いくと思います。

被葬者が武人的な性格なのは、

高句麗との戦争の影響でしょう。

 

埴輪に関しては、形象埴輪です。

形象埴輪は、何かの形をしている

埴輪ですね。

 

たとえば、

人型や馬型、家型などです。

これは、被葬者の葬送儀礼

示しているのではないかと考えられています。

 

最後に、代表的な古墳を見ておきます。

中期の古墳の代表例として、

外せないのが、大仙陵古墳

誉田御廟山古墳です。

 

出展:大仙陵古墳とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

 

この2つはどちらも大阪にあります。

大仙陵古墳堺市にあり、

周辺の古墳とともに世界遺産

なっています。

 

百舌鳥古墳群という

名前なのですが、

聞いたことあるのでは

ないでしょうか?

 

とにかく、

この2つの古墳は

バカでかいです。

 

このほか、熊本県

江田船山古墳と、

埼玉県の稲荷山古墳

押さえておいた方がいいです。

 

なぜなら、この2つの古墳からは、

「わかのたける大王」の名が刻まれた

刀が出土しているからです。

 

この2つの刀から、

やまとたける大王という人物が

九州から関東までの範囲で

知られていたということがわかります。

 

出展:日本史|東アジアのヤマト政権 (chitonitose.com)

 

ここまでが中期の内容です。

最後は後期の内容を

見ていきます。

 

古墳時代後期は6世紀~7世紀です。

この頃は、氏名制度が整えられ、

大王が地方豪族を含み込んだ政治体制を

確立させた時期です。

 

それでも、

大王の権力は必ずしも盤石ではなく、

大王の勢力拡大に反発する

豪族もいました。

 

また、豪族間の対立もありました。

この時期は、大王の下に

大連と大臣という役職があり、

そこに豪族が就任していました。

 

大連は大王家と並ぶ有力豪族、

大臣は特定の職種で朝廷に

仕える有力豪族です。

 

この時の政治体制は世襲制です。

代表的なのは、蘇我氏物部氏

ですね。

 

この時期は、氏名制度や

世襲制の政治体制が確立された時期

ということです。

 

では、

そんな時代の古墳はどのような

ものだったのでしょうか?

 

まず、巨大な前方後円墳は近畿のみに

なります。

その他の地域の前方後円墳

規模が小さくなります。

 

これは、

連合政権から近畿の大王中心の

中央集権的な政権へと変化していった

ことの現れだと考えられます。

 

この時、石室は竪穴式から横穴式に

変化します。

横穴式石室には、追葬ができるという

メリットがあります。

 

出展:泉崎横穴 | 泉崎村公式ホームページ (vill.izumizaki.fukushima.jp)

 

これは、

すなわち、

家族葬ということです。

 

副葬品に関しては、

武具、馬具に加え、

土師器須恵器も置かれます。

 

土師器は、弥生時代の系譜を引く

日本独自の土器です。

一方、須恵器は朝鮮から伝わった

技術で制作された土器です。

 

土師器は赤い色をしています。

一方、須恵器は灰色です。

形も違うので、

写真を見て押さえましょう!

 

 

↑土師器

↑須恵器

出展:C0067505 土師器_壺 - 東京国立博物館 画像検索 (tnm.jp)

 

古墳時代後期の古墳には、

日常生活の用具が

置かれるようになった

ということですね。

 

埴輪に関しては、

形象埴輪を盛んに使用していますが、

形象埴輪は近畿では次第に減少します。

 

このような古墳時代後期の古墳

なのですが、今までにないような

古墳が登場します。

 

群集墳です。

これは爆発的に増加します。

では、群集墳とは何なのでしょうか?

 

群集墳は、有力農民が被葬者の古墳です。

なぜ、このように言えるのかというと、

この古墳から、副葬品として、

農具が見つかったからです。

 

出展:群集墳 - JapaneseClass.jp

 

これは、有力農民層までが、古墳をつくる

ようなったということですね。

 

このほか、装飾古墳というものも現れます。

これは石室の壁などに絵が描かれた古墳です。

奈良県高松塚古墳が有名です。

 

さらに、7世紀になると、

近畿の大王の墓は

八角になります。

これは、大王にのみ固有のものです。

 

出展:よみがえった牽午子塚古墳 築造時の石張り八角墳復元 奈良・明日香 [写真特集1/9] | 毎日新聞 (mainichi.jp)

 

これは、墳墓のうえでも、

大王は一般の豪族層を超越したものだと

示そうとしたものだと考えられます。

 

その後、7世紀の終わりごろになると、

大王一族と一部の有力支配者だけが

古墳を営むようになります。

 

以上が、古墳の変化についてです。

古墳は、その時代の政治の

あり方を示すということですね。

 

面白い話です。

しかも、学者さんたちの

考察能力は素晴らしいですね。

 

 

今回のことをまとめると、

 

[政治]

連合政権→大王と豪族

 

[出来事]

ヤマト政権の成立〈前期〉

高句麗との戦い

(今回は触れなかったが渡来人)〈中期〉

→大王と豪族の政権利〈後期〉

 

[古墳]

〈前期〉3世紀中頃~4世紀後半

前方後円墳、円墳、方墳

副葬品:剣、玉、鏡

 

石室:竪穴式

埴輪:円筒埴輪

代表例:箸墓古墳(奈良)    

 

〈中期〉4世紀後半~5世紀

前方後円墳

副葬品:武具、馬具

 

石室:竪穴式

埴輪:形象埴輪

代表例:大仙陵(大阪)、誉田御廟山(大阪)

江田船山(熊本)、稲荷山(埼玉)

 

〈後期〉6世紀~7世紀

前方後円墳、群集墳、装飾古墳

副葬品:武具、馬具、土師器、須恵器、

(群集墳は)農具

 

石室:横穴式

埴輪:形象埴輪

代表例:高松塚古墳(装飾古墳)

 

また、変化した部分だけまとめると、

 

[副葬品]

呪術→武具→武具+食器

 

[石室]

竪穴→竪穴→横穴

 

[埴輪]

円筒→形象→形象

 

と言った感じです。

以上です。

 

今回の内容は、

情報が多いです。

なので、上手く整理しなければ、

身につきません。

 

一応、最後にまとめは入れていますが、

全てを網羅しているわけではありません。

なので、ここからさらに勉強し、

うまく頭に入れる必要があります。

 

そのためのステップが

3つあります。

そのステップは以下の通りです。

 

①この記事を読み直し、

内容を自分なりにまとめる

 

②何も見ずに、記述などで、

今回の内容を説明してみる

 

③入試問題を解いてみる。

 

とはいえ、

いきなり3つやるのは、

大変ですよね。

 

なので、まずは、

「この記事を読み直す」

ということをやってみてください!

 

最後までよんでいただき、

ありがとうございました。